07 April 2012

ドラゴン・久保竜彦、引退す。

久保が引退したそうだ。
日本人FWの中で俺が知る限り、一番日本人離れしたFWだったなあ。
怪我が無かったら……と考えてしまうが、日本一のFWになれたんじゃないだろうか。
「ドロー」の意味を知らなかったのも驚愕だったし。

娘さんがいるんですね。
ちょっと期待してしまうな。

07 October 2008

Midnight

高校のとき聴いていた岡本真夜『Hello』(4th)と『Crystal Scenery』(5th)。

最近、10年振りくらいに聴いている。

sonyが家に来たとき、アカペラアルバムである『Crystal Scenery』を紹介したのがきっかけだ。

なんと、日曜にはBOOK OFFで『Smile』(3rd)も買ってしまった。

い……良い。

岡本真夜が結婚してしまったのが悔しいのは俺の頭がおかしいからだろうか。

07 September 2008

W杯最終予選 バーレーンvs日本

生で見たよ。眠い。

まぁ、アジアでは意志を統一さえすれば勝てるってことだ。

しかし、最終予選のプレッシャーをはねのけてキチッと決める俊輔のFKとガチャピンのPKには脱帽。おかげ様で勝てました。

にしても、最後の2点、俊輔も言ってたように、ホントいらない。それまでボンバー中心に、みんなで必死に守っていたんだけどね…。憲剛のミドルが無かったらどうするつもりだったんだ。

まぁでもよくアウェーで勝てたよ。すごい。最後の2点が無かったらもっとすごかったけどね。あと欲を言えば、流れの中で点が取れていれば…。

個人的には、ガチャピン遠藤ばんざい。あと、イナは?

30 August 2008

人生の5枚

 音・粋・人にならって、俺も「人生の5枚」といふものをしてみようと思ふ。


○BUMP OF CHICKEN『THE LIVING DEAD』
 ゆずにのめり込んでいた高校時代、もう、ゆず以上に好きなミュージシャンは現れないと思っていたが、出会ってしまったバンプ。
 このアルバム、いや物語は、もはや殿堂入り。もう戻ってこない日々と一緒にしっかりと埋め込まれているから、動かすことはできない。










○RADIOHEAD『the bends』
 上京してのファースト・インパクト。ビートルズ、オアシスに続いて出会ってしまったUKロック。ここからの俺のUKロックへののめり込み方といったら凄かった。
 レディオヘッドのぐにゃぐにゃとした感じは、聴いていると音の洪水に呑み込まれていき、そのまま眠りに落ちることができた。
 そう寮の先輩に言ったら理解してもらえなかったけどね、その時は。まぁ確かに寝るために聴くようなアルバムじゃないからね。







○THA BLUE HERB『STILLING, STILL DREAMING』
 胡散臭くないHIP HOPってあったんだ。「本物のHIP HOP」ってあったんだ。
 HIP HOPを最高級の自己表現ツールにまで昇華させたBOSSのリリックは、今もなお進化中。
 こんなふうに俺も語りたい。形にとらわれることなく、自由にHIP HOPしたい。そう思わせてくれるTHA BLUE。








○中納良恵『ソレイユ』
 俺の中のJAZZブーム再燃、そしてピアノや女性ボーカルへの興味を覚ましてくれた作品。
 1曲目「…」で涙がもう、出てくる。これを聴いたあと、俺はこの「…」を求めてJAZZや女性ボーカルを聴き漁った。そして色んな音楽と出会うことができた。
 原田郁子もその一つだ。郁ちゃんの『ケモノと魔法』もこの5枚の中に入れようかとも思ったけど、『ソレイユ』と出会っていなかったらたぶん郁ちゃんとも出会っていなかったと思う。
 『ソレイユ』よりもさらに前に、ジムノペディ『8つの小品』にも出会っていたけどね。





 ……とここまで、4作品を挙げてみた。最後の1枚はまだ思い付かない。
 4つがJ-POP、UK Rock、HIP HOP、そしてJAZZチックな女性ボーカルというふうにバランスとれているから、4つ目はクラブミュージック辺りかな。するとnujabesかFree TEMPOが妥当かな。
 それともこれから出会うCDなのかな。まぁ、またの機会に。

10 August 2008

Music羅列!

 ひっさしぶり(1年9ヶ月振り)に音楽のことを書いてみよう。
 斉藤和義ばかり聴いていた期間が数ヶ月続いていた。今日はサイカズ以外で、ここ数ヶ月間買ったり聴いたりしているCDの中から、「音の洪水に呑まれて死んでも良い」と思えるものをご案内。

○原田郁子『ケモノと魔法』
 今日のブログは本来このアルバム1枚を紹介するために書いたようなものだ。もっと後に取っとこうと思っていたのに、一番最初に書いてしまった。まぁいいや。
 俺にとっては中納良恵『ソレイユ』以来の衝撃だった。『ソレイユ』を聴いてから、ジャズや女性ボーカルなどを漁るように聴きまくり、そしてこのアルバムに戻ってきた、という感じ。
 絵本のような世界観を再現する見事な表現力、それでいて決して子供っぽくはない。ピアノも声もとても美しい。ただ美しいだけでなく、深みがある。そして、ときどき聴かれる隙だらけの声。本当に子供が歌っているのかと思えるほど。それでいて、さっきも書いたけど、決して子供っぽくはならない。深みがある。
 1曲目、1音1音を丁寧に編み込んでいくような歌い出し。静かな闇の中を爆音が斬り裂いていくような、そしてその爆音は「音」ではなく「映像」としてまぶたの裏に浮かぶような表現力。長い間奏は閑かな森の中の生き物たちの、静かで激しい息づかい・鳴き声・生命力を感じる。その長い間奏が終わると、一瞬の「間」が空き、その後に感動の波がぶおーーーぶおーーーと押し寄せてくる。まさに剥き出しの心で迫ってくるような曲。
 3曲目はピアノへの愛情、というか友情が感じられる。「あぁ、そうか」っていうところに先述の「隙だらけ」感を感じる。こんだけ隙を見せられる人もなかなかいない。すごいと思う。
 4曲目は、こんなにつまらない、と言ってはtoo失礼なので、こんなにシンプルな詞で、これだけ上質な曲をよく創れるもんだ、と感心してしまった。この曲も「アハハハ」っていうところが隙だらけ。
 8曲目は蒼井優主演映画の主題歌らしい。映画見てないけど、たぶん相当ハマってる。旅を続ける者の切なさがよく表れている。
 10曲目11曲目は、涙。人というか、人生への愛しさを感じずにはいられない。
 まぁ俺がいくら書いてもしょうがない。「聴いて」とも言わないよ。むしろ聴かないで。これ、俺だけのもんだから。

○ef『i am responsible』
 「エフ」じゃなくて「イーエフ」と読みます。スウェーデンのポストロックバンド。
 宇宙に行ってみたい人は部屋を暗くして、1曲目の「soon」から2曲目の「Två」にかけて聴いてみて。マジ飛べるから。

○Tamas Wells『Two Years In April』
 ミャンマーでNGO活動をするこのオーストラリア人は、このアルバムタイトルを見ると、どんだけ長い4月を過ごしたんでしょうか。
 このCDを買ったのは、決して彼の経歴に興味を持ったからではなく(もちろん経歴にも興味はありますが)、単に曲が良いからです。
 店頭の紹介文にはSimon & Garfunkelと比喩されていた。なるほどと思えるところもあるけど、そこまで似ているとも思わない。アコギと歌という、シンプルで美しいアルバムだ。でも、だからと言って軽いわけでもない。良質な一枚。

○THA BLUE HERB『LIFE STORY』
 07年5月に出た、大好きなブルーハーブのアルバム。でも店で試聴した結果、すぐには買わなかった。大好きなブルーだから買いたいけど、買う気になれなかった。結局買ったんだけど。07年の大晦日に。
 結果として、買ってよかった!!俺の印象としては5、6曲目ぐらいから良い。まったく、アルバムの真価というのは、購入して聴き込まないと分からないから難しい。
 7曲目の喪失感から、8曲目のゲスト女性ボーカルはなんと、中納のよっちゃんだということに1ヶ月くらい前にやっと気付いた。
 そして、9、10曲目。今までには無かった社会派的なリリック。しかも言ってることが本質を突いてる!以外なところで共感できる人に出会った。この人(BOSS)にとって、HIP HOPって本当に一番の自己表現ツールなんだなぁ、って思った。こんな風に自分の表現手段をちゃんと手にしている人って少ないと思う。羨しい。
 11曲目、「この夜だけは」譲れない。「何かが変わってく夜明けが やってくるまでは ここで待ってたい」。

○Shing02『緑黄色人種』
 HIP HOP繋りということでShing02。CD2枚組。disk1の「少年ナイフ」disk2の「星の王子様」がすばらしい。Shing02も社会派的なところがあるようだ。「星の王子様」は必聴と言っても良いだろう。

○rodrigo y gabriela『rodrigo y gabriela』
 男女の情熱スパニッシュギターデュオ!マジ情熱。元気になるよ。なっちゃうよ。ギターの洪水に呑まれて下さい。

○DAISHI DANCE『theジブリset』
 ピアノハウスのDAISHI DANCEがジブリの曲をアレンジしたらしい。
 一目見て、「うわ〜、売れ線ねらってきやがった」って思ったけど、試聴したとたん、「…買っても良いかも」と思えた。1曲目がラピュタの「君をのせて」だったのがズルかった…。
 結構ジブリのハウスアレンジは良いかも。

○INO HIDEFUMI『Living Message』
 猪野さんが新アルバムをリリース!普通にかっこいい。

○COLDPLAY『Viva La Vida』
 COLDPLAYも新アルバムをリリース!普通にかっこいい。


【本日買ったもの】

○エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団『Fauré・Chausson・Dukas』
 原田郁ちゃんがデュカの「魔法使いの弟子」を薦めていたのをネットで見て、中古でゲット。

○Fairground Attraction『The first of a million kisses』
 これは中納よっちゃんのお薦め。なかなか良いじゃん!

○カラヤン/グールド/ベルリン・フィル『コンサート・イン・ベルリン1957』
 上の2つを買いに行ったとき、試聴して「買いだ!」と確信して購入。これから聴き込みます。

○原田郁子 たのしい弾き語り名曲集
 ピアノで弾いてみよう!!と思って。


 最後の方は明らかに手抜き文章だと分かってしまうけど、頑張って羅列だけしました。これからはちょくちょく記していこう。

03 August 2008

急性虫垂炎

 突発性難聴が2週間薬を飲み続けることで治って油断していたら、今度は急性虫垂炎になって10日間ほど入院していた(備忘録として記しておこう。7/22〜8/1)。
 初めての手術は、手術前も術後も「怖い」ものだったけど、まあ、何とか一応は乗り越えた。

 腹筋が使えなくなり、身体の自由が制限されることで、年寄りや身体障害者などの立場を疑似体験できたような気になれたのは小さくない収穫だった。
 結局のところ自分で体験しないと分からないものだと痛感したのは、反省・後悔・自分に対する失望に繋り、それも全て含めて収穫だ。
 そんな中でも家族をはじめ、兄の彼女や会社の人たち・中高の友人・家の建設を頼んでいる建設会社の人まで、心配して来てくれた人、来ることはできなくても心配してくれた人たちには、感謝の気持ちはもちろん、尊敬の念さえも(大袈裟じゃなく)感じる。

 この中に挙げた高校時代からの友人は、10年前、俺が髄膜炎で二週間入院していたときも、ほぼ毎日来てくれた。一日、彼がglobeのコンサートに行った日は来ることができず、その日は退屈で退屈でしょうがなかったのを覚えている。
 2002年、その彼が肝炎で入院したとき、俺は一度も行かなかった。特別忙しかったわけではないと思う。でも行かなった。「行けなかった」のではなく、「行かなかった」。メールも送っていないし、退院後に何か声を掛けた覚えもない。
 これが後悔。取り戻すことはできない。

 この話は過去形ではない。現在進行形だ。
 人は、というとズルいので、俺は、忙しさや楽しいこと・自分のことにかまけて(もしくは何にもかまけていなくても)、人のことを顧みなくなる。心の奥には後ろめたさはある。でもそれを見ないようにする。気付かない振りを続ける。大事にできていないな、と思いながらも、重い腰が上がらない。その人への想像力をシャットアウトする。そういう傾向がある。
 これが自分に対する失望。絶望の一歩手前。

 失望が絶望の一歩手前で留まっている原因となっている一筋の希望に名前を付けるとするならば、それは「自覚」だろう。
 これが無自覚のまま、集団となって暴走したら人は残虐にもなり得る、と考えるのは短絡だろうか。
 現に、2002年の自分は十分に残酷だったと自分では思う。短絡じゃないような気がする。

 っていうか、こんなに人に対する想像力がストップするこの世の中の忙しさは何なんだろう、というのはさすがに短絡かな。
 いっそ、俺がこんなにつまらない文章しか書けないのもこの世の中のせいにしてしまいたい。

 まぁそれは置いといて、皆さん、本当にありがとうございます。


13 July 2008

李纓『靖国 YASUKUNI』

Tさん


 こんにちは。丁寧で気持ちの入ったお返事、ありがとうございます。

 恥ずかしながら名古屋高裁の判決のことは不勉強で知りませんでしたので、さっき『週刊金曜日』を買って読みました。空自は多国籍軍の輸送を秘密でやっていたのですね。
 Tさんの、
『「画期的な判決」と歓ぶ護憲派も含めて市民の中にどれだけ”現在日本は戦争中の国 だ”と自覚しているひとがいるでしょうか。』
という一文には目を覚まされました。
 本当に、人々の意識・関心の低さがこういったことを引き起こしてしまうのですね。

 実は今日、映画『靖国 YASUKUNI』を観てきました。静岡で自主上映会があったのです。
 観ながら色々考えていたのですが、今日抱いた感想の一つに、「右翼も左翼も一緒だな」というのがあります。一緒に観た両親は右翼に対する批判めいたことを漏らしていましたが、僕は右翼を右翼としてしか見ないことは、何の解決にもならないと思います。「この社会は今のままで良いわけがない」「もっと良くしたい」という点においては右翼も左翼も同じなのです。
 ならばどうして違う考え方になるのか、どこで考え方が分かれたのか、考えるべきだと思うのです(しかし無数の動物の中で、どうしてヒトだけが思想・信条を持つようになってしまったんでしょう)。
 世界が全て右翼的な考え方で覆われることも、また逆に左翼的な考え方で覆われることも、永遠にありません。なぜならば、一つの事象を目の当たりにしたときに抱く感想や意見は、人の数だけあるからです。だったら共生の道を模索するのが、最も建設的な考え方だと思うのです。
 世界は白と黒、善と悪、右と左の二元論では説明できません。そもそも善も悪も右も左も相対的なもので、曖昧なものであると思います。被害者にも加害者にもイラクの人々にも思いを馳せるのなら、対立しがちな右翼の人たちにも想像を及ばせてやろうと思うのです。

 しかし、です。どんな理由があろうと、どんな大義があろうと、戦争はしてはいけません。人が死ぬからです。もっと正確に言おうと試みるならば、戦争は人が死ぬことを前提とした行為、つまり人を殺す行為だからです。
 どんな悪人であろうと殺してはいけません。何人殺した人でも、殺してはいけません。非常にデリケートな領域ですが、そこだけは譲りたくない、いや、譲ってはいけないような気がするのです。
 とするならば当然、先の戦争も肯定するわけにはいきません。
 たとえば僕が正当防衛で誰かを殺したとしても、「理由があったんだ」とも「俺は間違っていない」とも、ましてや「正義を実行したに過ぎないんだ」とも言いたくありません。法律で裁かれなかったとしても、一生その事実を背負って生きていくしかないのです。
 いや、しかし、そこを正当化してしまうのが人間が本質的に持つ弱さなのかもしれません。右翼とは、もしかしたらその責任を強く感じ過ぎてしまうが故に、自国の行為を正当化せざるを得ないところまで追い詰められてしまった、哀しいほど人間的な者たちの末裔なのかもしれません。
 「憲法違反?それがどうした」と開き直る鉄面皮には、「憲法違反したければするが良い。しかし、人を殺す行為に加担することは許すわけにはいかない」というのが、今の僕に言える精一杯の言葉です。つまり、「憲法が許そうが許すまいが、僕は許さない」。そういうスタンスです。そういう考えの集合体が、憲法であれば良いなと思います。

 平和ぼけ。実に贅沢な言葉じゃないですか。贅沢すぎて「平和の良さを忘れてしまう」という副作用もあるぐらいです。
 しかし、平和の良さ・有り難みを再確認するために戦争をするというのは、あまりにも短絡的すぎます。平和の良さ・有り難みを再確認するために僕らがするべきことは、先の戦争を顧みることです。そして真摯に、謙虚に受け止めることです。
 右翼も左翼もありません。一人ひとりの“人間”に過ぎないのです。違いを違いのまま、複雑さを複雑なまま受け入れること、そして想像力を常に働かせておくことが、戦争ゾンビを眠らせておくための最も効果的な道ではないでしょうか。

 知識も理論武装も無いまま、色々書いてしまいました。でもこれが、今日僕が抱いた等身大の感想です。もし、おかしなところ、お気付きのところがあったらご指摘下さい。
 もっともっと色んなことを知りたいです。もっともっと色んなことを感じたいです。こういう話をしてくれる人は僕の周りには少ないので、また色々と教えて下さい。

 それでは、冷えたり暑かったりジメジメしたりで過ごしにくい季節になってきていますので、ご自愛下さい。


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