30 August 2008

人生の5枚

 音・粋・人にならって、俺も「人生の5枚」といふものをしてみようと思ふ。


○BUMP OF CHICKEN『THE LIVING DEAD』
 ゆずにのめり込んでいた高校時代、もう、ゆず以上に好きなミュージシャンは現れないと思っていたが、出会ってしまったバンプ。
 このアルバム、いや物語は、もはや殿堂入り。もう戻ってこない日々と一緒にしっかりと埋め込まれているから、動かすことはできない。










○RADIOHEAD『the bends』
 上京してのファースト・インパクト。ビートルズ、オアシスに続いて出会ってしまったUKロック。ここからの俺のUKロックへののめり込み方といったら凄かった。
 レディオヘッドのぐにゃぐにゃとした感じは、聴いていると音の洪水に呑み込まれていき、そのまま眠りに落ちることができた。
 そう寮の先輩に言ったら理解してもらえなかったけどね、その時は。まぁ確かに寝るために聴くようなアルバムじゃないからね。







○THA BLUE HERB『STILLING, STILL DREAMING』
 胡散臭くないHIP HOPってあったんだ。「本物のHIP HOP」ってあったんだ。
 HIP HOPを最高級の自己表現ツールにまで昇華させたBOSSのリリックは、今もなお進化中。
 こんなふうに俺も語りたい。形にとらわれることなく、自由にHIP HOPしたい。そう思わせてくれるTHA BLUE。








○中納良恵『ソレイユ』
 俺の中のJAZZブーム再燃、そしてピアノや女性ボーカルへの興味を覚ましてくれた作品。
 1曲目「…」で涙がもう、出てくる。これを聴いたあと、俺はこの「…」を求めてJAZZや女性ボーカルを聴き漁った。そして色んな音楽と出会うことができた。
 原田郁子もその一つだ。郁ちゃんの『ケモノと魔法』もこの5枚の中に入れようかとも思ったけど、『ソレイユ』と出会っていなかったらたぶん郁ちゃんとも出会っていなかったと思う。
 『ソレイユ』よりもさらに前に、ジムノペディ『8つの小品』にも出会っていたけどね。





 ……とここまで、4作品を挙げてみた。最後の1枚はまだ思い付かない。
 4つがJ-POP、UK Rock、HIP HOP、そしてJAZZチックな女性ボーカルというふうにバランスとれているから、4つ目はクラブミュージック辺りかな。するとnujabesかFree TEMPOが妥当かな。
 それともこれから出会うCDなのかな。まぁ、またの機会に。

10 August 2008

Music羅列!

 ひっさしぶり(1年9ヶ月振り)に音楽のことを書いてみよう。
 斉藤和義ばかり聴いていた期間が数ヶ月続いていた。今日はサイカズ以外で、ここ数ヶ月間買ったり聴いたりしているCDの中から、「音の洪水に呑まれて死んでも良い」と思えるものをご案内。

○原田郁子『ケモノと魔法』
 今日のブログは本来このアルバム1枚を紹介するために書いたようなものだ。もっと後に取っとこうと思っていたのに、一番最初に書いてしまった。まぁいいや。
 俺にとっては中納良恵『ソレイユ』以来の衝撃だった。『ソレイユ』を聴いてから、ジャズや女性ボーカルなどを漁るように聴きまくり、そしてこのアルバムに戻ってきた、という感じ。
 絵本のような世界観を再現する見事な表現力、それでいて決して子供っぽくはない。ピアノも声もとても美しい。ただ美しいだけでなく、深みがある。そして、ときどき聴かれる隙だらけの声。本当に子供が歌っているのかと思えるほど。それでいて、さっきも書いたけど、決して子供っぽくはならない。深みがある。
 1曲目、1音1音を丁寧に編み込んでいくような歌い出し。静かな闇の中を爆音が斬り裂いていくような、そしてその爆音は「音」ではなく「映像」としてまぶたの裏に浮かぶような表現力。長い間奏は閑かな森の中の生き物たちの、静かで激しい息づかい・鳴き声・生命力を感じる。その長い間奏が終わると、一瞬の「間」が空き、その後に感動の波がぶおーーーぶおーーーと押し寄せてくる。まさに剥き出しの心で迫ってくるような曲。
 3曲目はピアノへの愛情、というか友情が感じられる。「あぁ、そうか」っていうところに先述の「隙だらけ」感を感じる。こんだけ隙を見せられる人もなかなかいない。すごいと思う。
 4曲目は、こんなにつまらない、と言ってはtoo失礼なので、こんなにシンプルな詞で、これだけ上質な曲をよく創れるもんだ、と感心してしまった。この曲も「アハハハ」っていうところが隙だらけ。
 8曲目は蒼井優主演映画の主題歌らしい。映画見てないけど、たぶん相当ハマってる。旅を続ける者の切なさがよく表れている。
 10曲目11曲目は、涙。人というか、人生への愛しさを感じずにはいられない。
 まぁ俺がいくら書いてもしょうがない。「聴いて」とも言わないよ。むしろ聴かないで。これ、俺だけのもんだから。

○ef『i am responsible』
 「エフ」じゃなくて「イーエフ」と読みます。スウェーデンのポストロックバンド。
 宇宙に行ってみたい人は部屋を暗くして、1曲目の「soon」から2曲目の「Två」にかけて聴いてみて。マジ飛べるから。

○Tamas Wells『Two Years In April』
 ミャンマーでNGO活動をするこのオーストラリア人は、このアルバムタイトルを見ると、どんだけ長い4月を過ごしたんでしょうか。
 このCDを買ったのは、決して彼の経歴に興味を持ったからではなく(もちろん経歴にも興味はありますが)、単に曲が良いからです。
 店頭の紹介文にはSimon & Garfunkelと比喩されていた。なるほどと思えるところもあるけど、そこまで似ているとも思わない。アコギと歌という、シンプルで美しいアルバムだ。でも、だからと言って軽いわけでもない。良質な一枚。

○THA BLUE HERB『LIFE STORY』
 07年5月に出た、大好きなブルーハーブのアルバム。でも店で試聴した結果、すぐには買わなかった。大好きなブルーだから買いたいけど、買う気になれなかった。結局買ったんだけど。07年の大晦日に。
 結果として、買ってよかった!!俺の印象としては5、6曲目ぐらいから良い。まったく、アルバムの真価というのは、購入して聴き込まないと分からないから難しい。
 7曲目の喪失感から、8曲目のゲスト女性ボーカルはなんと、中納のよっちゃんだということに1ヶ月くらい前にやっと気付いた。
 そして、9、10曲目。今までには無かった社会派的なリリック。しかも言ってることが本質を突いてる!以外なところで共感できる人に出会った。この人(BOSS)にとって、HIP HOPって本当に一番の自己表現ツールなんだなぁ、って思った。こんな風に自分の表現手段をちゃんと手にしている人って少ないと思う。羨しい。
 11曲目、「この夜だけは」譲れない。「何かが変わってく夜明けが やってくるまでは ここで待ってたい」。

○Shing02『緑黄色人種』
 HIP HOP繋りということでShing02。CD2枚組。disk1の「少年ナイフ」disk2の「星の王子様」がすばらしい。Shing02も社会派的なところがあるようだ。「星の王子様」は必聴と言っても良いだろう。

○rodrigo y gabriela『rodrigo y gabriela』
 男女の情熱スパニッシュギターデュオ!マジ情熱。元気になるよ。なっちゃうよ。ギターの洪水に呑まれて下さい。

○DAISHI DANCE『theジブリset』
 ピアノハウスのDAISHI DANCEがジブリの曲をアレンジしたらしい。
 一目見て、「うわ〜、売れ線ねらってきやがった」って思ったけど、試聴したとたん、「…買っても良いかも」と思えた。1曲目がラピュタの「君をのせて」だったのがズルかった…。
 結構ジブリのハウスアレンジは良いかも。

○INO HIDEFUMI『Living Message』
 猪野さんが新アルバムをリリース!普通にかっこいい。

○COLDPLAY『Viva La Vida』
 COLDPLAYも新アルバムをリリース!普通にかっこいい。


【本日買ったもの】

○エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団『Fauré・Chausson・Dukas』
 原田郁ちゃんがデュカの「魔法使いの弟子」を薦めていたのをネットで見て、中古でゲット。

○Fairground Attraction『The first of a million kisses』
 これは中納よっちゃんのお薦め。なかなか良いじゃん!

○カラヤン/グールド/ベルリン・フィル『コンサート・イン・ベルリン1957』
 上の2つを買いに行ったとき、試聴して「買いだ!」と確信して購入。これから聴き込みます。

○原田郁子 たのしい弾き語り名曲集
 ピアノで弾いてみよう!!と思って。


 最後の方は明らかに手抜き文章だと分かってしまうけど、頑張って羅列だけしました。これからはちょくちょく記していこう。

03 August 2008

急性虫垂炎

 突発性難聴が2週間薬を飲み続けることで治って油断していたら、今度は急性虫垂炎になって10日間ほど入院していた(備忘録として記しておこう。7/22〜8/1)。
 初めての手術は、手術前も術後も「怖い」ものだったけど、まあ、何とか一応は乗り越えた。

 腹筋が使えなくなり、身体の自由が制限されることで、年寄りや身体障害者などの立場を疑似体験できたような気になれたのは小さくない収穫だった。
 結局のところ自分で体験しないと分からないものだと痛感したのは、反省・後悔・自分に対する失望に繋り、それも全て含めて収穫だ。
 そんな中でも家族をはじめ、兄の彼女や会社の人たち・中高の友人・家の建設を頼んでいる建設会社の人まで、心配して来てくれた人、来ることはできなくても心配してくれた人たちには、感謝の気持ちはもちろん、尊敬の念さえも(大袈裟じゃなく)感じる。

 この中に挙げた高校時代からの友人は、10年前、俺が髄膜炎で二週間入院していたときも、ほぼ毎日来てくれた。一日、彼がglobeのコンサートに行った日は来ることができず、その日は退屈で退屈でしょうがなかったのを覚えている。
 2002年、その彼が肝炎で入院したとき、俺は一度も行かなかった。特別忙しかったわけではないと思う。でも行かなった。「行けなかった」のではなく、「行かなかった」。メールも送っていないし、退院後に何か声を掛けた覚えもない。
 これが後悔。取り戻すことはできない。

 この話は過去形ではない。現在進行形だ。
 人は、というとズルいので、俺は、忙しさや楽しいこと・自分のことにかまけて(もしくは何にもかまけていなくても)、人のことを顧みなくなる。心の奥には後ろめたさはある。でもそれを見ないようにする。気付かない振りを続ける。大事にできていないな、と思いながらも、重い腰が上がらない。その人への想像力をシャットアウトする。そういう傾向がある。
 これが自分に対する失望。絶望の一歩手前。

 失望が絶望の一歩手前で留まっている原因となっている一筋の希望に名前を付けるとするならば、それは「自覚」だろう。
 これが無自覚のまま、集団となって暴走したら人は残虐にもなり得る、と考えるのは短絡だろうか。
 現に、2002年の自分は十分に残酷だったと自分では思う。短絡じゃないような気がする。

 っていうか、こんなに人に対する想像力がストップするこの世の中の忙しさは何なんだろう、というのはさすがに短絡かな。
 いっそ、俺がこんなにつまらない文章しか書けないのもこの世の中のせいにしてしまいたい。

 まぁそれは置いといて、皆さん、本当にありがとうございます。